
映画で恋空をこの前見ました。
相手を想いやる彼等の強さと比べたら
自分の恋は鯉です。
ということで鯉空でケータイ小説出します。
レイプ、中絶、援助交際、風俗業従事と、売れてる本を踏襲します。
「パパはイラクで死にました」 米の6歳少女、アイドル見たさにニセ作文
こうならない程度に本の棲み分けは気をつけます。
それにしてもケータイ小説は大ヒット。
2007年度上半期ベストセラーで、単行本フィクション部のトップテンを五作のケータイ小説が占めていますから。
この現象に対して警笛を鳴らすのは文学者。
ケータイ小説は、表現が稚拙で単純であることが多いそう。
この小説で育った多くの読者が大人になった頃には文学が崩壊してしまうのではないかと警笛を鳴らしています。
文学とは何だろう?と思う。
文学の目指すものってなんだろうね?
人間の苦悩とか喜びを共有することで作者と読者との連帯感を産み出し癒しを与えること
だとしたらケータイ小説はプラスに働いている。
伝えられぬものこそ、伝えたい。
その橋渡しが表現力の向上を文学が手助けしてくれるとしたらどうだろう。
需要と供給より、表現力は必要になってくるんじゃないかな。
レイプ、中絶、援助交際、風俗業従事など非日常体験が次々と題材にされた時点で既に読者にとっては慣れてしまう。
同じネタで書こうとしたら今後表現力が問われるだろう。
もしくはそれ以上の目新しい題材を見つけないといけない。
その繰り返しで文学は安泰していくんじゃないかなと私は考えます。



男だって、癒して欲しい夜もあるの。





